本日、「本間長世先生の思い出を語る会」に参列させていただきました。
直接薫陶を受ける機会に恵まれた者の一人として、本間先生との出会いを振り返ってみたいと思います。
初めてお会いしたのは4年前に参加した日本アスペン研究所のエグゼクティブ・セミナーでした。今日お伺いした東大時代や、成城学園学園長(と半年間の幼稚園長)時代については殆ど存じ上げない状態でお会いさせていただいたのです。
当時アメリカは2008年の大統領選挙の最中にあり、アメリカ史も交えながらの解説には圧倒されましたし、モデレーターとしての本間先生がご専門以外の領域における造詣もとても深いことが、まだ殆どなにも判らなかったといっていい私にも伝わってきました。私がパスカルのパンセと古事記における葦のとらえ方の違いについて意見を述べさせていただいたときの「ほう」という本間先生の反応に勇気づけられ積極的に対話に加わっていったことや、夜に千枝子夫人同席のもとでさまざまなお話を伺ったことなどが想い起こされます。アスペンにおけるモデレータに対する憧れの気持ちをいっそう強くした体験でした。
その後、モデレータ候補として御殿場での合宿に参加したり、高校生向けのジュニアセミナーの立ち上げに立ち会わせていただく過程で、本間先生のモデレータとしてだけでなく、アスペンの理念を実現していく姿勢もほんの一部に過ぎないとは思うのですが、垣間見ることができ、円熟したリーダーのあり方の一端を学ばせていただきました。
最期にお会いさせていただいたのは、今年の春。テキストは頭に入っているのだが、ページをめくれなくて困るんだよ、とあの朗らかな調子で仰有っておられました。杖は突かれていましたが、まさかあれがお会いさせていただく最期になろうとは思いもよりませんでした。
本間先生が亡くなられてから一月後の10月、事務局からモデレータ登板の連絡を頂きました。そして11月に初登板。今日は「本間先生、なんとかモデレータになりました ご報告間に合いました」とご報告させていただきました。
本間先生は大森荘蔵先生の「過去は消えず、過ぎ行くのみ・・・過去は『想い出すという様式、過去で立派に』存在する」というお言葉を、繰り返しご家族に語られておられたそうです。
本間先生からはもっともっと学べることがあったのでは、という思いも残りますが、受け継いだ「なにか」を大切に継いでいければと感じております。